カンボジアの歴史〜1979年ポル・ポト政権クメール・ルージュからの解放〜

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2019年1月7日、オリンピックスタジアムにてポル・ポト政権が崩壊してから40周年を祝うイベントが行われました。

 

カンボジア大虐殺

40年前に起こったカンボジアでの悲惨な大虐殺。

1975年から1979年の5年間で、100万とも200万とも言われる数の罪ない人間が処刑、飢餓、病気などの理由で亡くなりました。

私の父や母が生まれている時代に起こったこととは信じ難い出来事です。

 

ポル・ポト政権による原始共産主義

1975年から1979年まで政権を握っていた共産主義政党の指導者が、ポル・ポトです。

ポル・ポトが率いていたのがクメール・ルージュ(赤いクメール)と呼ばれる指導者たちによる政党。

ポル・ポトは、階級差のない原始共産主義社会を目指して、極端な政策をとりました。

貨幣や本、宗教、恋愛は廃止。

人々は農村へ強制移動させられ、知識人とされる者、公務員や医師、教師、さらにはメガネをかけている者や外国語を話す者はみな、階級のない社会をつくるために虐殺の対象とされました。

 

トゥール・スレン

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「S21(トゥール・スレン)」収容所は、数ある収容所のなかでも残虐で、約2万人の収容者のうち、生還者はわずか8名と言われ、それ以外の者は拷問の末、処刑されました。

現在トゥール・スレンは、その壮絶な過去の事実を伝える博物館となっています。

想像を絶するような拷問が行われ、恐怖の中に閉ざされた当時の生々しい状況を知ることができます。

日本語でその歴史を解説するオーディオをききながら、施設をまわることができるので、カンボジアにいらした際には、足を運んでみてください。

(あまりにも衝撃的な悲惨過ぎるエピソードの数々に、私は最後まで通しては聞けなかったです…。)

 

1979年1月7日ポル・ポト政権崩壊

1977年ベトナムとの関係悪化が激化し始めると、1979年1月7日ベトナム軍の支援を受けたカンプチア救国民族統一戦線により、ポル・ポト政権は崩壊しました。

 

この大虐殺の影響もあり、カンボジアの平均年齢は約25歳(日本の平均年齢は約46歳)。

ポル・ポト政権崩壊後も知識人が国にいなかった為、その後も十分な教育を受けられなかった世代が続いていました。

 

この歴史はカンボジア国民に、未だ大きな傷跡を残しています。

世界的にも類を見ない、本当に悲しい出来事です。

 

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この2週間で、カンボジアの内戦時代を知る方や、幼少期にポル・ポトの虐殺から日本に何とか逃れることができた方とお会いする機会がありました。

彼らの話を聞いて、「生きる」ことについて考えさせられました。

そのことについては、また改めて書きたいと思います。

 

一日でも早く、罪のない人間が命を落とすことのない世界が、当たり前の世の中になることを強く願います。

 

2019.01.12 Hikaru